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東京地方裁判所 昭和51年(ワ)1503号 中間判決

原告 天洋海運株式会社

右代表者代表取締役 沼野康

右訴訟代理人弁護士 大久保孝裕

同 藤森克美

同 佐藤久

被告 東神油槽船株式会社

右代表者代表取締役 大河鶴四

右訴訟代理人弁護士 市川渡

被告 英幸海運株式会社

右代表者代表取締役 鷲見昌敏

右訴訟代理人弁護士 田辺克彦

右訴訟復代理人弁護士 渡部晃

主文

被告らの仲裁に関する本案前の抗弁は理由がない。

事実

一  本件事案の概要

原告の請求及び主張の要旨は、

「原告天洋海運株式会社は、自己所有の小型タンカーによる石油類の運送の請負を業とする会社であり、被告東神油槽船株式会社(以下「被告東神」という。)及び被告英幸海運株式会社(以下「被告英幸」という。)は、石油精製・販売会社から石油類の運送委託を受け、これを原告のような業者(いわゆる一杯船主)にさらに委託して、その手数料を収受すること等を業とする会社であるところ、原告と被告両者との間には各々原告を請負人(受託者)、各被告を委託者とする運送請負(委託)契約が存在し、原告はこれに従って石油類の運送を行ってきたが、被告らはいずれも契約中の請負代金額の定めに反し、約定を下回る金額を支払ったのみであるから、原告は、それぞれその未払差額分の支払を求め、また右の被告らの行為は不法行為を構成するものであるから、右差額分を損害賠償としてその支払を求める」

というものである。

二  被告らの仲裁条項あるいは仲裁に付す旨の慣習が存在する旨の抗弁

被告らは、いずれも本件訴えを却下するとの裁判を求める旨本案前の抗弁を提出し、次のとおりその理由を述べた。

1  被告東神

原告、被告東神間の昭和四三年四月一日付運航委託契約書の第一五条には、「本契約に関して当事者間に争いを生じたときは双方は社団法人日本海運集会所に仲裁判断を依頼しその選定に係る仲裁人の裁定を最終のものとしてこれに従う。」と規定されているから、原告の請求中右時点以降の部分は右条項に反し、不適法として却下されるべきである。

また、右時点前には当事者間の右のような仲裁条項はないが、一般に、海運界には、契約に関し紛争が生じた場合は、一般商慣習に基き協議し、かつ協議が調わないときは、日本海運集会所の仲裁に服する旨の事実たる慣習があるから、原告の請求中右時点前に係る請求部分についても、不適法として却下さるべきである。

2  被告英幸

原告、被告英幸間の昭和四六年一〇月五日付運航委託契約書の第一五条には、前1記載と同じ仲裁条項がある。従って、原告の被告英幸に対する請求は不適法であり、却下さるべきである。

三  被告らの仲裁についての抗弁に対する原告の反論

1  合意の不存在

原告と各被告らとの間の各運航委託契約書は、いずれも日本海運集会所の作成にかかる同一の書式を用いたものであるが、原告及び被告らの契約に際しての関心事は運賃配分に関る点のみであって、契約書中のその余の不動文字で印刷された条項については当事者間において話し合いを行ったことはなく、また原告はいずれも事前に契約書式の交付を受けていなかったし、また原告は「仲裁」の意味、効果等について全く何の知識も有していなかった。従って、仲裁条項を含む契約書が作成されたからといって、当事者間に仲裁に付す旨の合意があったものではない。

2  合意の無効

本件で仲裁機関とされる日本海運集会所が選任を予定している仲裁人の殆どは、原告らのようないわゆる一杯船主と利害の対立する被告らのような大手の運送取扱業者からの選出にかかる者が占めており、このような性格を有する団体は仲裁人としての第三者性を有するものとは言えず、本件各契約書中の仲裁条項は、民訴法にいう仲裁契約としては無効である。

3  権利の濫用等

(一)  本件契約書中の仲裁条項は前記1のとおりの状況下で締結されたものであり、それが有効であるとしても、右のような経過に鑑みれば被告らにおいてそれを主張することは権利の濫用として許されないというべきである。

(二)  本件請求は不法行為に基く損害賠償請求をも含むものであるが、不法行為には、契約上の仲裁条項の効力は及ばない。

4  被告東神主張の仲裁に付す旨の事実たる慣習は存在しない。

四  《証拠関係省略》

理由

一  以下、本件被告らの前記仲裁の抗弁について、当事者間に中間の争いがあるので、右の点につき判断する。

二  本件各当事者間の事実関係

1  被告東神関係

(一)  《証拠省略》によれば、原告・被告東神間で昭和四三年四月一日付をもって運航委託契約書(原告が委託者、被告東神が受託者となって、船舶の運航を委託し、被告東神が原告の所有する船舶をもって第三者と運送契約を締結するという内容のもの。但し、後述のとおり、昭和四三年四月一日以後、被告東神は、原告との間で、別途に、被告東神を委託者、原告を受託者とする運送契約書を作成している。)が作成されたこと、同運送委託契約書は日本海運集会所の作成に係る書式を利用し、特約事項(船舶、委託期間の特定、委託手数料の割合等)のみを記入したものであって、一般的な条項(第二条以下)は不動文字をもって印刷されたものであること、同契約書第一五条には、被告東神主張の仲裁条項が含まれていることを認めることができる。

(二)  《証拠省略》によれば、右契約の締結に当り、各当事者は右契約書中の第二条以下の部分について当事者間で話し合いをしたことはなく、被告東神もその説明をせず、ことに第一五条の仲裁条項については全く意識していなかったこと、原告は契約締結に先立ち、前もって右契約書の書式の交付を受けていなかったこと、その当時原告には仲裁についての知識は殆ど無かったことを認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(三)  《証拠省略》によれば、原告・被告東神間では取引開始当初の昭和四〇年度(同年四月一日から昭和四一年三月三一日まで)から取引終了に至るまで、年度ごとに被告東神作成の書式による運送契約書(被告東神を運送委託者、原告を運送受託者として、原告自身が運送人となるもの。)が作成されていたこと(同契約書中には仲裁の条項は存しない)、従って前記運航委託契約書が作成された昭和四三年度は契約書が重複して作成されていること、翌年度以後運航委託契約書は年度ごとに更新作成されていないこと(但し、同契約書第一条中に、契約期間終了後双方異議のないときは更に一年間有効とする、その後もこの例による旨の更新条項がある。なお、運送契約書中にも、第一四条に有効期間満了一ヶ月前に書面による別段の意思表示がなければ更に三ヶ月間有効とする。その後もこの例によるとの更新条項がある。)、このように昭和四三年度に契約書が二通作成されたことについて原告代表者沼野は被告東神の担当者から双方相まって契約が完全になるのだと聞かされていたが、実際は、同年度より内航に関する法令(内航海運業法及び内航海運組合法のいわゆる内航二法)が改正されて施行されることとなり、その結果原告のような一杯船主は自ら運送人となることができなくなり、規模が大きく自ら運送人となりうる資格を有する者(内航運送業の許可を受けたもの。一般にオペレイターと称される。)に対し、持船を人員とともに貸し渡して運航を依頼することができるにとどまることとなったので、契約形態も新法令に適合させる必要が生じたため、運輸省海運局の行政指導を受けてこれに適合する海運集会所の書式を用いるに至ったものであること、右の理由から、右の運航委託契約書と原告が自ら運送人となる運送契約書とが重複して締結されることになったこと、しかしながら右法令施行の前後を通じ、実際の貨物運送の業務の内容には全く変化がなかったこと、を認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

2  被告英幸関係

(一)  《証拠省略》によれば、原告・被告英幸間で昭和四六年一〇月五日付をもって、被告東神関係(前記1、(一))と同様の形式及び内容の運航委託契約書が作成されたことを認めることができる。

(二)  《証拠省略》によれば、右運航委託契約書の作成に際し、被告英幸との間でも、第二条以下について説明・話し合いがなされたことはないこと、原告に前もって書式の交付はされなかったこと、原告及び被告英幸の双方の担当者とも仲裁の意味、その効果についての理解が殆どなかったことを認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

三  日本海運集会所について

《証拠省略》によれば、以下の事実を認めることができる。

社団法人日本海運集会所は、商取引の発展及び隆昌を図る目的をもって大正一〇年に設立された株式会社神戸海運集会所をその前身とするものであり、各種書式の整備等を行い、昭和八年に至って社団法人に改組し、合せて名称を現行のものに変更したのであり、その一業務である仲裁は、正しい商慣習の育成を旨として大正一五年以来行われ、戦後同業者団体内での紛争の仲裁を一般的に禁止した事業者団体法(昭和二三年七月二九日法一九一)の施行期間中にあっても、海事仲裁に関する法律(昭和二三年一二月三日法二二一)による特例により、右事業者団体法の適用除外団体として仲裁業務を継続し、現在に至るものである。仲裁は、当事者の申立により、一名もしくは三名の仲裁人により行われるが、現在仲裁人として選任が予定されている者は、海運、損害保険、荷主、商社、造船、海運仲立等の各分野の実務経験者並びに弁護士及び海商法学者等の二〇四名である。集会所が仲裁業務を始めてから昭和四九年七月までに受理した仲裁の申立件数は合計一六〇件(年平均三件強)あり、うち仲裁判断を下したものは九九件であるが、最近においては、昭和五二年に一二、三件、昭和五三年に一六件、昭和五四年に一七件の仲裁を取り扱い、この外仲裁申立に至らない相談件数は年間七〇〇件から八〇〇件に及んでいる。仲裁については規則が制定され、手続の円滑が図られている。一方、書式の作成については現在までに約四〇種類の書式を作成してきているが、本件の運航委託契約書は、内航二法の改正に伴い、昭和四二年に運輸省及び全国内航タンカー海運組合の依頼を受けて作成したものであり、内航二法の改正後は、運輸省の行政指導もあって、右書式を用いることが一般的となっている。

四  本件仲裁条項の効力

以上の事実を前提として、本件仲裁条項の効力につき検討する。

1  一定の書式による契約条項の拘束力

一般に、特定の業界内において標準的な内容を持つ契約書式をもって契約が締結された場合には、契約書中の各条項は、その内容が合理性を有するものである以上、締結時に仔細に検討しなかったときでも、原則として当事者を拘束するものと解すべきである。何故ならば、少なくとも一定の書式をもって契約を締結する以上、当該書式中の各条項を検討することは、それぞれの当事者自らの責任であり後に至り特定の条項について締結時に検討しなかったことをもってその効力がない旨を主張するのは、取引上の信義誠実の原則に照らし許されるべきではないからである。そして、このことは契約当事者間に優劣の力関係の差があるときでも何ら異なるものではない。要するに、特定の業界内における一定の書式による契約条項の拘束力の有無は、その条項の合理性にかかるものと考えるべきである。

2  仲裁条項の特殊性

しかしながら、右1の理は、当該条項が仲裁を内容とするものであるときは、別段の考慮を要するものである。すなわち、仲裁条項は、私法上の取引内容に関する条項とは異なり、裁判を受ける権利に重大な制約を加えるものであるから、その合意の成否については取引内容に関する条項に比して、より一層の慎重さをもって対処する必要があり、その効力の有無を判断するに当っては、単に書式に仲裁条項の記載があることから直ちにその効力が肯定されるべきものではなく、当事者の認識・理解の程度のほか、広く諸般の事情を考慮してその効力を決すべきである。

3  本件仲裁条項の効力について

そこで、本件契約中の仲裁条項の効力について検討するに、前認定の事実によれば、本件で使用された運航委託契約書の書式は、海運界にあって長い歴史と実績とを有する日本海運集会所の作成にかかるものであり、当業界では相当程度に普及していると認めることができる。そうであれば、そのような書式を用いて契約する以上、原則的には、当事者はそれに拘束され、締結時にことさらに話し合い等を行わなかった場合でも、その効力に影響を及ぼすものではないといえる。しかしながら、当該条項が仲裁に関するものであるときは、前記のとおり、より厳格にその効力の有無を検討すべきものである。

前認定のとおり、本件の場合にはいずれの当事者においても明確な仲裁付託の意思が表示されていたとは言えず、仲裁のもつ法律的な意味・効果についての認識すら十分でなかったことに加え、原告と被告東神との間においては本件貨物の運送について契約書が重複して作成されていることが契約関係を極めて不明確なものとしており、しかも二種類の契約書のうち運航委託契約書はその作成の時期からみて、改正された内航二法と行政指導に適合する形式を整えるためだけのものとして作成された疑いを払拭できず、また従前から作成されていた運送契約書に加えて新たに運航委託契約書が作成されるに至った時期の前後を通じて、貨物運送の取引の実態は全く変化がなく、年度毎に改めて作成されている運送契約書には、右運航委託契約書と異なり仲裁条項の定めをおいていないこと等の諸事実が認められ、また翻って本件訴訟の経過に照らすと、この段階に至って仲裁手続によるべきものとすれば、時効の中断について看過し得ない法律的問題が生ずることにもなり、これらの事情を合せ考えると、前記のとおり明確な仲裁付託の意思の認められない本件においては、運航委託契約中の仲裁条項の存在故にその意思を擬制してまで仲裁条項の効力を認め、仲裁手続以外に紛争解決の途を採り得ないとすることは相当でないというべきである。

五  仲裁に付す旨の事実たる慣習について

右事実は本件全証拠によるもこれを認めることはできない。

六  結論

以上のとおり、被告ら主張の仲裁に関する本案前の抗弁はいずれも理由がない。

よって、主文のとおり中間判決する。

(裁判長裁判官 山田二郎 裁判官 久保内卓亞 内田龍)

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